僕は東京都立豊多摩高等学校の出身だ.豊多摩の教壇に立っていた時期もあるので,卒業生であり,先生でもあった学校ということになる.
その校名から「多摩にある学校?」とよく勘違いをされるが,杉並区の住宅街の中にある学校だ.スタジオジブリの宮崎駿さん,作家の橋本治さん,タレントのイッセー尾形さんなど著名な方が卒業生にいる学校である.
その中に,詩人の谷川俊太郎さんがいる.その谷川さんに 1968 年度の生徒が豊多摩の卒業式のための詩の創作を依頼した.そして,つくってくださったのが『あなたに』という詩である.それ以来,豊多摩では放送部,演劇部の代表が中心となり,卒業式でこの詩の朗読がなされている.
この詩は「あなたに ひとつの問いかけを贈る」ということばで締めくくらられる.つまり,豊多摩生はこの詩の最後で「答え」ではなく「問いかけ」を贈られ,巣立っていくのだ.社会で生きていくには様々なことに対する「答え」を自分の力で見つけたり,つくり出したりしなければならない.それを詩という形で伝えられる.高等学校という場を巣立っていく生徒にとっては最高の贈り物だと,生徒のときも教師のときも感じた.
だから,3 年生の HR 通信のタイトルには『あなたに ひとつの問いかけを贈る』を使った.3 年生は,大学入試の受験勉強の真っ只中にいる生徒たちだ.だからこそ,高校からの巣立ちを迎えるにあたり,生徒たちに「問いかけ」を贈りたいと思った.僕の思惑通りに行ったかどうかは分からない.でも,自分たちがこれから進む先には,答えのある問いばかりではないことを意識させるきっかけになったのではないだろうか.
今は,生徒たちがそれぞれの道で,自分自身で答えを見つけたり,つくったりしている姿を思い浮かべつつ,おしまい.
あなたに
谷川 俊太郎
燃えさかる火のイメージを贈る
火は太陽に生まれ
原始の暗闇を照らし
火は長い冬を暖め
祭の夏に燃え
火はあらゆる国々で城を焼き
聖者と泥棒を火あぶりにし
火は平和へのたいまつとなり
戦いへののろしとなり
火は罪をきよめ
罪そのものとなり
火は恐怖であり
希望であり
火は燃えさかり
火は輝く
―あなたに
そのような火のイメージを贈るあなたに
流れやまぬ水のイメージを贈る
水は葉末の一粒の露に生まれ
きらりと太陽をとらえ
水は死にかけた けものののどをうるおし
魚の卵を抱き
水はせせらぎの歌を歌い
たゆまずに岩をけずり
水は子どもの笹舟を浮かべ
次の瞬間その子を溺れさせ
水は水車をまわしタービンをまわし
あらゆる汚れたものを呑み空を映し
水はみなぎりあふれ
水は岸を破り家々を押し流し
水はのろいであり
めぐみであり
水は流れ
水は深く地に滲みとおる
―あなたに
そのような水のイメージを贈るあなたに
生きつづける人間のイメージを贈る
人間は宇宙の虚無のただなかに生まれ
限りない謎にとりまかれ
人間は岩に自らの姿を刻み
遠い地平に憧れ
人間は互いに傷つけあい殺しあい
泣きながら美しいものを求め
人間はどんな小さなことにも驚き
すぐに退屈し
人間はつつましい絵を画き
雷のように歌い叫び
人間は一瞬であり
永遠であり
人間は生き
人間は心の奥底で愛しつづける
―あなたに
そのような人間のイメージを贈るあなたに
火と水と人間の
矛盾にみちた未来のイメージを贈る
あなたに答えは贈らない
あなたに ひとつの問いかけを贈る